院長コラム “やじろべえ” バックナンバー 2022年度
2022年4月
映画を観るたびに気になるものがある。キャストやスタッフなどの名前が延々と流れる、あのエンドロールだ。大作や長編でおびただしい名前が連なるのはもちろん、低予算作品でもけっこうな数にのぼる。つい心配する。人件費は相当なものではないか、すみずみまでギャラはちゃんと支払われたのだろうかと。ヒットすればいいが、コケたら大赤字を計上するであろうことは想像に難くない。
約束どおりのギャラがもらえない人がいたとしたら、とさらに考える。クレームを述べ訴訟まで起こす人がいる一方で、にっこり笑って何も言わない人もたくさんいるように思う。作品に関わることができたことで、もう満足するような人たちが。
そもそも労働の対価としての妥当な報酬はいかほどのものか。映画製作は多大な労力を必要とし、俳優やスタッフの苦労は相当なものだろう。高額ギャラの大スターはいざ知らず、多くの人は報酬を考えていたらやってられないのではないか。しかし、ひとつの作品は映画に愛情をいだき、対価にこだわらない人たちの熱意と献身によってできあがっていると信じたい。観てよかったと思う作品であればあるほど。
今、日本全体で働き方改革が進められている。医療界も、時間外労働上限規制が義務化される2024年に向けて、体制作りに追われている。新型コロナ対策を最優先としながらも、働き方改革の工程が粛々と進行中だ。今年度は、全国の病院にとって勤務形態の方向性を決める大切な一年となるはずだ。
医師も労働者である以上、守られるべき権利を持つ。労働生産性を上げることも求められる。また、多様な生き方を認めることが現代のトレンドであり、キャリアデザインは個人の人生観や職業観に沿ったものであるべきだ。かくして働き方改革は国策となった。
とはいえ、真にすばらしい仕事、後世に残るような業績を成し遂げ、いっぱしの医療人となるには人一倍の努力をしなくてはならない。これは時代のトレンドとは別に、古今東西普遍的な事実だ。
定められた労働時間の外で、労働生産性を度外視して働いて得られた成果にこそ、価値と優位性が生まれる。これに費やされる時間は、働き方改革の文脈では自己研鑽にあたる。自己研鑽とは、「上司の指揮命令の下に置かれている時間以外に行われるもの」とされる。自らの意思で行う点がキモであり、そこには強制感や義務感は生まれにくい。
多様な働き方を尊重するからこそ、より高みを目指して仕事に没頭するキャリアデザインも選択肢のひとつである。その努力が結実した先には、まわりとは違った景色が広がっているはずだ。働き方改革においては、このメッセージを後進に伝えることを忘れてはならない。
映画のエンドロールを余韻にひたりながら目で追うのは、ひとつの至福である。そこに流れる名前たちに敬意を払いつつ、熱意と大志をいだく良質な医療人がたくさん育つことを願う。